映画「Sex and the City 1」のストーリーのカギを握るロイヤルブルーのヒール。 映画の中では、どこのブランドのヒールかは明言していませんが、キャリーが大好きな靴のブランドとなれば知っている人も多いはず。 マノロブラニク(MANOLO BLAHNIK)のHANGISI SATIN。
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シルクをブレンドした光沢のあるサテン生地で、アーモンドトゥにはまばゆい輝きを放つビジューが施されており、エレガントな雰囲気になっている。
結婚を決めたビッグとキャリーが34件目の内見で訪れたペントハウスを即決で入居を決めた。 ただ、そのペントハウスはキャリーにとってはとても大事な衣裳部屋が小さかった。 そこでビッグがキャリーのために衣裳部屋を広げる工事をした。 その出来上がった部屋を見たキャリーは大喜びをし、その時に持っていた買ったばかりのヒールを初めてその衣裳部屋のシューズラックに置いた。 その時のシューズがマノロブラニクの”HANGISI SATIN”だ。
出展:https://www.elle.com/jp/fashion/trends/g139336/fpi-heroine-shoes18-0322/?slide=1
また、一旦離れ離れになったビッグとキャリーが再開し、よりを戻すきっかけになったのもこのヒールだった。 (ネタバレになるので、まだ映画を見ていない方のために詳細は伏せておきます。)
最近ではDianaやサラジェシカパーカーがプロデュースする靴のブランド、SJPなどでもよく目にするビジューが四角形にあしらわれているデザインは、もとはマノロブラニクの”HANGISI”シリーズが先駆けだと思われる。 では、そんなアパレル業界のヒールデザインに大きな影響を与えたマノロブラニクとはどんなブランドなのか。
マノロブラニクはイギリス発のブランドで、同名のザイナーによって1972年に設立された。 “靴のロールス・ロイス”や“靴の王様”などの呼び名をもつ。
デザイナー
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設立者にしてデザインを担うマノロ・ブラニク・ロドリゲス(Manolo Blahnik Rodríguez)。
1942年:オーストリア・ハンガリー人の父とスペイン人の母の間に生まれ、バナナ農園に生まれ育つ。
1960年:スイスのジュネーヴ大学で建築学と文学を学び始める。
1961年:大学で1年学んだ後にパリへ移住。
1963年:ロンドンで”Sunday Times”のファッション写真家として活動しファッションの世界に入る。
1968年:ニューヨークを訪れる。当時、米版「ヴォーグ」の編集長だったダイアナ・ヴリーランドから、靴にフォーカスを当てるようアドバイスされ、その助言に従い独学で靴作りを学ぶ。
1972年:コレクションでデビュー。 靴の作り方を知らなかったため、その後10年がかりで職人から学んだという。 同時期、ロンドンのチェルシーに最初のお店をオープンする。
1980年代:本格的にアメリカへ進出。ビジネスでの成功をおさめ、ブランドは世界へと拡大。
人気
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TVドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」でキャリーが愛用したことで人気に爆発的な人気となる。 キャリーがマノロブラニクの靴を大量に買い、破産の危機に陥るというエピソードもある。
デザインを手がけるマノロ・ブラニク自身は「今でも工房で過ごす時間が人生の喜びだ」と語る。加熱するブームを冷静に受け止め、イタリア・ミラノの工房で職人たちとハンドメイドで制作することに、こだわり続けている。
マノロブラニクの人生に迫るファッションドキュメンタリー
2017年12月に公開された「トカゲに靴を作った少年」は、マノロブラニクの創作の秘密とその素顔に迫るファッション・ドキュメンタリー。 この映画タイトルは、マノロの少年時代のエピソードに由来しているという。 彼は、生まれ故郷であるスペインのカナリア諸島の庭園を駆け回り、チョコレートの包み紙でトカゲのために靴を作ることに熱中していたそう。 作中には、あの米VOUGUEの編集長のアナ・ウィンターやリアーナ、ティファニーのジュエリー・デザイナーのパロマ・ピカソ、シューズ・デザイナーのシャーロット・オリンピアなどが出演する。
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